感情の力
感情の力
スワミ・ラーマ
今日、世界中が混沌としています。それは、知的な人々、感情を持つ人々、健康的な人々がいないからではありません。私たちの人間社会の問題は何でしょうか。3つの段階ーマインド・体・物質ーについて多くの実験がされてきましたが、私たちは総合的な人間を作り出せずにいます。私たちは、調和された人生の方法を理解していません。思考力と、感情の力は、どちらも素晴らしい力です。総合的な調和のために、私たちは感情の力をどのように用い、どうしたら自分の感情にマインドが乱されないかを知る必要があります。
次の例えを聞いたことがあるかもしれません。ある時、足の不自由な男性がいました。彼は歩くことができませんでした。彼は松葉杖を持っておらず、何も自由に使うことができませんでした。そしてまた、盲目の男性がいました。2人とも同じ村に行きたいと思っていました。彼らは話し始めました。「何か方法はあるでしょうか?私たちの目的地は同じです。」話し合いの後、彼らは方法を見つけました。足の不自由な男性が、盲目な男性の肩に乗り、共通の目的地まで彼を案内したのです。このように、思考力と感情の力が合わさると、調和的な人生に到達することができます。
これはまた、自分の中のさまざまな側面を内観し、正しく理解すると、誰もが人生の解決策を見つけることができることを意味します。くよくよしたり、心配するのではなく、考えることを学びなさい。明瞭なマインドを持ちなさい。心配する人(worrier)ではなく、戦う人(warrior)でありなさい。これらの問題はすべて自分で作り出したものですから、すべての問題は解決することができます。あなたには自分の問題を作り出した責任があると同時に、これらの同じ問題から自由になる力があります。
実際、私たちの行動すべては、自分の思考に支配されています。そして、すべての私たちの思考は、自分の感情に支配されています。あなたは、社会で、教養があり、高学歴な人かもしれませんが、突然ある感情によって気分を害すると、すべきでないことをし始めてしまいます。一つの感情が、あなた全体を乱してしまいます。あなたは、自分自身を育て、高め、教育することに、とてもたくさんの時間とエネルギーを費やします。しかし、たった一つの感情があなたを取り乱し、非道な人にしてしまうのです。
ですので、なぜ感情がすべてを乱してしまうかを理解しましょう。説明します。食・睡眠・セックス・自衛本能という4つの原始的な泉から生じる、6つの主要な感情の傾向があります。最初の原始的な感情は欲求で、カマ(Kama)と呼ばれます。カマは第一の欲求で、ここから他のすべての欲求が生じます。この欲求が達成されると、あなたは得意げになりますが、これは深刻な問題です。もし欲求が達成されないと、あなたは怒ります(クローダ:krodha)。怒りとは何でしょうか。満たされない欲求が、怒りと呼ばれます。欲求が満たされないゆえに、あなたは怒るのです。夫があなたに対し、あるやり方で物事を行って欲しいのに、あなたがそれをしていない。彼は怒っています。あるいは、あなたは夫が時間通りに帰宅しなかったために怒っています。満たされない欲求は、怒りを意味します。「なぜ怒っているの?」と彼は尋ねます。あなたは言います。「子どもたちのために何か持って帰るように言ったのに、それを忘れたじゃない。友達と飲みはじめて、忘れたじゃない。飲まないでと言ったのに、酔っ払っているから怒っているの。」怒りは満たされない欲求です。もしカマ、欲求が満たされないと、あなたは怒ります。もしそれが満たされると、得意げになります(マダ:mada)。そして、それに酔いしれます(moha)。
プライドは自尊心ではありません。それは誤った考えです。私はこう考えます「このテーブルは私のものだ」そうでしょうか?いいえ、それはこの組織のものです。私は使う必要がありますが、私が所有する必要はありません。ここで何が起こるでしょうか?あなたは、世の中にあるものを使い方を知らないのに、それを所有しはじめます。これは深刻な問題です。あなたはその家を楽しんでいません。あなたの住む美しい家を。しかしそれを所有しています。「私の家、私の家、私の家」というように。そして得意げになり、酔いしれ、そして執着します。家を出る時、テーブルを置いていきますが、誰も自分を取り乱しはしないでしょう。ですが、仕事を終えた時、このテーブルを家に持って帰ると言うと、組織はこう言うでしょう。「待ちなさい!それはあなたのものではありません。どうしたのですか?」世の中のすべての物事は摂理の中に属しています。使ってください。ただし所有しないでください。これは、あなたが犯している深刻な間違いです。あなたの思考、行動、理解に何かしら間違いがあります。ここに公式があります。あなたは、世の中にあるすべての物を使うことができますが、それに執着をしてはいけません。なぜならそれらはあなたの物ではなく、あなたに与えられた物だからです。この理解のもと、妻と夫が座り、話し、議論をしたならば、人生は美しいものになるでしょう。あなたの家はエデンの庭になるでしょう。しかしながら現代人たちは、それをする時間がありません。
ある話をしましょう。1人の医者がいました。とても有名で多忙な医者でした。彼には3人の子どもがいました。彼は、朝5時に起きて病院へ行き、夜遅くに帰宅していました。妻が子どもたちの世話をしていました。ある日、子どもたちは夜に目を覚まし、彼を見て尋ねました。「ママ、この人は誰?」これは、あなた方全員の問題でもあります。あなたは子どもたちのための時間がなく、妻のための時間がありません。あなたは何をしているのですか?なぜ、それらのことをしているのですか?教えてください。なぜ競い合いがあるのですか?近所の人は1000万円を持っていて、私は500万円しか持っていない。1000万円にするために、あなたは熱心に仕事をします。自分の妻や子どもを放って。そうしたことは、してはなりません!平安ということがあります。世の中のものに執着しないことを学びなさい。執着は、すべての不幸の源です。
そしてまた、あなたは嫉妬(マッツァリヤ:matsarya)します。かつて、アメリカのミネアポリスにあるギリシャ協会を訪れたことがあります。初めてのギリシャ正教会への訪問でしたが、私は教会やモスク、寺院を信じている訳ではありません。私にとっての寺院は、「あなたはそれである」です。あなたは私の寺院、生きている寺院です。私がもし、あなたの中に神を見ることができなければ、私は不幸せになるでしょう。(そこでは)ミサが行われていました。神父は様々な典礼を行いました。私は理解することができませんでしたが、文化の違いですので、受け入れることができました。私の前に、1人の女性がいました。私の後ろには、別の女性がいました。2人の女性は、互いに嫉妬し合っていて、常に競い合っていました。私の前にいた女性はこうつぶやいていました。「彼女は自分を一体何だと思っているのかしら?私よりも大きいダイヤモンドをつけているじゃないの。派手なガウンを着ているわ。自分を誰だと思っているのかしら?来週の日曜日はもっと良いガウンを着てきましょう。」彼女は独り言を言いながら、ずっと眉を潜めていました。彼女は後ろを見ていたので、私はその間に挟まれていました。私は静かに尋ねました。「御婦人、彼女は誰なのですか?」彼女は答えました。「隣に住んでいる、ひどい人です。なぜ彼女を知っているのですか?」私は言いました。「私はあなたのことを知りませんし、彼女のことも知りません。」私は、教会に連れてきてくれた医者に言いました。「ここにいる男性や女性たちは全員、教会で目立とうとしています。まるでクラブのようです。」あなたはどこへ行っても、自分のマインドを一緒に連れていきます。寺院に行くときも、ヨギーや、スワミの元へ行くときも、どこでも、あなたのマインドは常にあなたと一緒にいます。少なくとも、自分にとって何が良いかを理解し、自分自身を助けることを学ぶべきです。
聖者の1人がこう美しく表現しました。tulasi sant svamba taru phoolphale parahetu ichetete pahan hane vuchetate phala det. 良い人間、賢人は、一本の木、たくさんのマンゴーの実がなった木のようです。マンゴーの実が成っているとき、木は垂れ下がり、子ども達がそれを目掛けて石を投げます。木は何をしますか?何も悪いことはしません。石と引き換えに、実をあげます。それが偉大さの証です。私たちもそれを、世の中で成し遂げることができます。それは可能です。人間が過去にできていたことですから、私たちにもできます。
カマ、クローダ、モハの後に来るのは、ローバ(lobha)、貪欲さです。貪欲さは、あなたを動物にします。あなたは人間ですが、貪欲さによって人間の持つ可能性を失ってしまいます。しかし、すべての感情の中で、最も危険なものはエゴです。エゴとは何か知っていますか。身体・呼吸・意識・無意識・意識の中枢があります。アンタカラナ(antahkarana)と呼ばれる、マインド全体の、内面的な道具の持つ側面が4つあります。それらは、マナス(manas)、ブッディ(buddhi)、チッタ(chitta)、アハンカラ(ahamkara)と呼ばれます。アハンカラ、あるいはエゴは、光の源、人生、知恵へと進むこと、直感的知識を得ることにおけるすべての障害の中で、最も大きなものです。
最後の障害はエゴです。イスラム王国の歴史を読んだことがありますか?その王であった父親は、慎重に愛を込めて子どもを育てました。しかしその男の子はこう考えました。「僕にお父さんを牢屋に入れさせて欲しい。お父さんを捕まえさせて欲しい。(そうすれば)僕が王様になれる」と。これはエゴの問題です!利己的であると、自分の愛する人々や、自分を愛してくれる人々を忘れてしまいます。これは自分と現実との間に障害を作ります。自分と真実との間に壁を作ります。カマ、クローダ、モハ、マーダ、ローバ、アハンカラは、4つの原始的泉から起こる、6つの感情です。その内側の人、あなたの内側にいる人の構造を少しでも理解すれば、人生を楽しむことが楽になるでしょう。
私はあなたが生活しているのを見てきましたが、人生を楽しんでいるのを見たことがありません。楽しむために客体は必要ですか?そうだとすると、あなたは物の奴隷になっています。今日、人々は愛について話します。男性は女性を必要とし、女性は男性を必要としています。ですが、それは必要なものではありません。客体なしに、愛について学ぶべきです。何か高尚なものや、知恵について話すとき、それは客体のない愛であり、それがあなたを自由にしてくれます。自由は、自分自身を整理したときに訪れます。
不幸とは何でしょう。不幸を私に与えることはできますか?私は受け取る準備ができています。(ですが)あなたはそれはできません。なぜならあなたは自分自身で、その不幸を作り出しているからです。どうか自分自身を助けてあげてください。それは簡単な方法です。不幸になろうとしないでください。ブッダはこう言っています。「汝よ、自分自身の光を灯しなさい。誰かがあなたを啓発することはないでしょう。」もし人々が不幸であるとしたら、それは彼らが不幸でありたいからです。自分自身に不幸を作り出したいからです。そこに救済する手段はありません。どうしてかを教えましょう。あなたは存在していますか?誰もが「はい」と言うでしょう。私は、目隠しをしているので、あなたは存在していないと言います。私は真実を言っています。これは私たちが自分自身に行っていることです。不幸というものはありません。それはすべて喜びです。すべてが喜びです。喜びのイメージは様々です。不幸はどこにありますか?どんな種類の不幸かを教えてください。どんな形をしていますか、その形は何ですか。それはないのです。
後ろ向きなことがあるといつでも、「私は悪い」と言います。私は、あなたは悪くないと言います。自分自身をとがめるあなたは、自分のことを何だと思っていますか。あなたは神のものです。どうして悪いのでしょうか、教えてください。こうした否定的な考え方を受け入れるべきではありません。あなたは訓練をする必要があります。マインドを浄化し、マインドをきれいにすることは、否定的にならないこと、肯定的であること、現実的であること、賢くあること、現実的であることを意味します。
あなたは、自分の習慣と向き合う必要があるでしょう。泥棒を捕まえたとき、あなたは彼に尋ねます。「これが悪いことだとわかっていますか?」彼は答えます。「はい、わかっています。あなたがわかっているように、私もわかっています。」「ではなぜ盗みを犯すのですか?」彼は言います。「自分の癖だからです。」あなたは、自分の習慣と向き合う必要があるでしょう。あなたの習慣は何ですか?あなたのその個性は、あなたの習慣から成っています。それがあなたの性格になります。ですが、新しい行動を意識的に、繰り返し行い始めれば、新しい習慣を作ることができます。古い習慣から抜け出し、新しい習慣を形成します。あなたは変化するでしょう。それは実現可能です。
シャンカルパ シャクティ(Shankalpa shakti)、決意は、成功の要点です。失敗するかもしれない、と決めつけてはいけません。子どもが歩き始めると、何度も転びます。それは子どもが立ち上がらず、歩かないということを意味しません。私たちは皆、幼少期に何度も転びましたが、今は歩いています。歩くことを学び始める時は、当然転ぶのです。決意も同じようなものです。初めは失敗しますが、それは問題ではありません。努力をしなさい。努力をすることをやめてはいけません。これはとても大切なことです。真実を知るためには、マインド・行動・言動に真実があるべきです。真実の探求の中で失敗しても、その道の上にいるので心配することはありません。真実を練習していれば、真実があなたを助け、支えてくれます。失敗を恐れる必要はありません。
これらの人間の持つ偏見は、人間性の成長を妨げます。気づいている人々だけが、人生において何か行うことができ、他人を助けることができます。そして私たちは皆、その可能性を持っています。朝晩、少し時間を取り、考えてみてください。どうやって自分自身を改善できるのだろうか?自分の性格をどのように改善できるのだろうか?変えることはできなくても、改善することはできます。死は、あなたを変えることはできませんが、あなたには自分自身を変える力があります。あなたは、とてつもなく大きな力を持っているのです。
0コメント